猫忠(ねこただ) 別名「猫の忠信」

清元の師匠お静さんは、母と二人ぐらしなので、町内の若い衆が目の色をかえてけいこに通って来る。次郎吉と六兵衛もその仲間。ある日、弁慶橋の常州という若者頭が、師匠とさし向かいででれついているを見つけた二人が、常州の女房に行くと、常州が家にいて、このところ風邪を引いて外出していないという。常州と三人で、師匠の家へ確かめに行くと、確かに常州が師匠とよろしくやっている。これは狐狸妖怪にとがいないと、三人で取りおさえてみると、ネコが化けていた。聞いてみると「自分はあそこにかかっている三味線の皮にされたネコの子どもです」という。次郎吉が「今度のおさらいのしまいは千本桜のかけあいだが、これですっかりできている。ネコがただ酒飲んで、ネコのただ飲む(忠信)。私が駿河屋の次郎吉だから駿河の次郎。こいつが亀屋の六兵衛で亀井の六郎。あにいが弁慶橋に住んでいる吉野家の常さんで吉常(義経)、師匠が文字静で静御前」というと、師匠は「いやだよ。私みたいなお多福に、静御前が似合うものかね」するとネコが「にゃあう」

解説
大阪のはなしで、六代目桂文治が東京へ持って来た。芝居の「狐忠信」をもじってつくったはなし。初代笑富久亭松竹作。ただし、初代林家正蔵作の小ばなしが江戸にある。

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