イタリアの好景気はたくさんの個性的な歌手を生み出し育てました。
62年からは一般のハガキ投票が行われ150万票も獲得してドメニコ・モデューニョとクラウディオ・ヴィッラが”Addio...Addio...!”で優勝ししました。
この様なサンレモ音楽祭の成功に刺激されて他にも色々な音楽祭が生まれました。
中でも有名なのは、6〜7月にイタリア 国内を半周して行われるカンタジーロ です。
これは浜辺や山のヴァカンス地で若者達に歓迎される夏の歌のディスク・コンテストで1962年から冬のサンレモに対 抗 してRCAが始めました。
ここからはジーノ・パオリ、 ジャンニ・モランディ,パッティ・プラボーその他多くの歌手が 世にでましたがあまり日本に紹介されなかったのが惜しまれます。(それは、レコード製作に時間が掛り日本での発売は半年後の冬になるので真夏の歌のレコードが冬にリリースされても売れなかったからです。)
サンレモ音楽祭には64年から外国の歌手も参加するようになり、65年にはヤード・バーズ(ギターはジェフ・ベック)や、日本からも岸洋子や伊藤ゆかりが出場しました。
64年にはジリオラ・チンクエッティが"Non ho L'eta'"(夢みる想い)で優勝、65年にはボビー・ソロが"Se Piangi, Se Ridi"(君に涙とほほえみを)で優勝、66年はモデューニョとチンクエッティが"Dio,come
tiamo"(愛は限りなく)で優勝等々・・
このように邦題でも親しまれ、愛されたカンツオーネのほとんどが50〜60年代のサンレモの曲でした。
そしてサンレモ入賞曲は、すぐにイタリアのみならずヨーロッパのヒット曲になる事が多かったのでサンレモ音楽祭は、全盛時代を迎えました。
60年代サンレモの主な優勝者と曲名
60−1位ーTony Dallara-Renato Rascel
/Romantica(ロマンティカ)
61−1位ーBetty Curtis-Luciano Tajoli
/Al di la'(アル・ディ・ラ)
62−1位ーDomenico Modugno-Claudio Villa/Addio...addio...!
2位ーSergio Bruni-Milva
/Tango Italiano(タンゴ・イタリアーノ)
63ー 1位ーTony Renis-Emilio Pericoli/Uno per tutte
64ー 1位ーGigliola Cinquetti-Patricia Carli
/Non ho l'eta'(夢見る想い)
65ー 1位ーBobby Solo-New Cristy Minstrels
/Se Piangi, se ridi(君に涙とほほえみを)
66ー 1位ーDomenico Modugno-Gigliola Cinquetti
/Dio, Cometi amo!(愛は限りなく)
67ー 1位ーClaudio Villa-Iva Zanicchi
/Non pensare a me(愛の別れ)
68ー 1位ーSergio Endrigo-Roberto Carlos
/Canzone per te
2位ーOrnella Vanoni-Maria Sannia
/Casa bianca(カーサ・ビアンカ)
69− 1位ーBobby Solo-Iva Zanicchi
/Zingara(涙のさだめ)
この時代の他の歌手
リトゥル・トニー、セルジョ・エンドリーゴ、ニコラ・ディ・バーリ、 パオロ・コンテ、 ブルーノ・ラウズィ、ルイジ・テンコ、 ノマーディ、 エンゾ・イアンナッチ,
ジョルジョ・ガーベル、 ディク・ディク、 エドアルド・ヴィアネッロ、 カメレオンティ、 ミーナ
★ミーナについて
1940年生まれで、すでにこの時代に有名だった彼女は'59、’60とサンレモに出場。しかし入賞しなかったのでもう2度とサンレモには出ないと宣言、また、結婚外の出産は認められない時代に堂々と子を成して、このスキャンダルでラジオから締め出されてしまうのです。
しかし、これにめげずにディスクを作り75年以降はコンサートも中止して観客の前からも姿を消すのです。そしてクリスマスの時期にのみCDを出すという我が道を歩み続けましたが常に高い人気と国民的歌手の女王的な地位を保ち続けています。
95年にはアドリアーノ・チェレンターノと共にCD ”Mina Celentano"を出しました。
これはもう中年も後半の二人とは思えない若々しいセンスに溢れるもので、そのジャケットのディズニー・マンガ風イラストや、二人の息のあった掛け合いの楽しさも相まって若者の間でもブームとなり、月間売上のトップと成りました。
その後も彼女の写真入りのアルバムを出し続けて居るのは嬉しい事です。
また特筆したいのはすべてのジャケット・デザインの独自性です。彼女の顔を家鴨や猿に見立てたり日本髪のかつらに和服など、そのユニークさに驚きます!!
日本では、ミルバ、ミーナ, オルネッラ・ヴァノーニの3人が、カンツォーネ御三家として一世を風靡しました。
特にミルバとミーナは、ゴーロの豹(ミルバ)、クレモナの虎(ミーナ)と呼ばれライバル同志と言われてきました。
ミルバ:1939 7/17、北イタリア、フェッラーラ近くのゴーロ生まれ
ミーナ:1940 3/25、 北イタリア、クレモーナ生まれ
★ジリオラ・チンクエッティについて
子育ても終わってから再び元気に活動を始めているのは嬉しい事です。
かつて、日本ではアイドルの地位を占めていてイタリア本国以上に評価の高かった彼女は可なり大柄なのにそれを感じさせない可愛いさが魅力ですね。
今でも日本のオールド・ファンに一番人気があるのは彼女・オーラ姫です!!
★ミルバ (ミルヴァ) について
61年からサンレモ音楽祭にしばしば出場、入賞し実力を証明します。
けれども71年頃から次第にピアソラのタンゴやドイツのブレヒト、日本の歌にまで挑戦して深い芸術性を求めるようになります。
その飽くなき芸術魂のもたらす迫力とあふれる情感!
たえず前進する彼女には脱帽で、特にドイツと日本で高い人気を得ています。
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